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聖書とは▲
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたし(イエス・キリスト)について証言しているのです。
(ヨハネの福音書5章39節)
聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 (テモテへの手紙第二3章15〜17節)
*聖書は英語ではバイブル、ドイツ語ではビーベル。これは、ギリシャ語の「本」をあらわす「ビブリオン」からきています。はじめは、普通の本を指していましたが、後に、「本の中の本」という意味で、バイブルといえば、「聖書」のことを指すようになったのです。 *聖書は「旧約」と「新約」に大別されます。この「約」は、神様が人間の救いのために結ばれた契約のことです。イエス・キリストが人としてこの世にお生まれになり、十字架につけられ、復活されたことによって、神様の契約は果たされました。

神とその愛▲
初めに、神が天と地を創造した。 (創世記1章1節)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネ3章16節)
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。 (コリント人への手紙第一8章6節)
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 (ヨハネの手紙第一4 章10節)

人間とその罪▲
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 (創世記1章26〜27節)
さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。 (創世記3章1〜7節)
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 (ローマ人への手紙3章23節)

救い主キリスト▲
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。 (使徒の働き4章12節)
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 (コリント人への手紙第二5章17節)
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 キリストは、すべての人の*贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 (テモテへの手紙第一2章5〜6節)
*束縛されている人を身代金を支払って解放するというのが本来の意味。

聖霊について▲
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。 (ヨハネの福音書14章16〜17節)
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 (ガラテヤ人への手紙5章16〜18節)

信仰とは▲
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 (ヘブル人への手紙11章1節)
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。 (ローマ人への手紙3章28節)
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。 (ガラテヤ人への手紙2章16節)
あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
(ガラテヤ人への手紙3章26節)

教会とは▲
さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「*バプテスマのヨハネだと言う人もあり、**エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。***ハデスの門もそれには打ち勝てません。 (マタイの福音書16章13〜18節)
*バプテスマは洗礼の意味。 **エリヤは旧約時代の預言者 ***ハデスは死後の世界のこと。肉体の死と死後のさばきの間の中間状態をさしている。
また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。 (エペソ人への手紙1章22〜23節)

復活はあるのか▲
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。 (コリント人への手紙第一15章3〜5節)
もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。 (コリント人への手紙第一15章13〜14節)

キリストの再臨▲
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの*再臨のときキリストに属している者です。それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。 (コリント人への手紙第一15章23〜24節)
*キリストが再びこの地上に来られること。その時には、この世のさばきが行なわれる。
●このページは、日本聖書刊行会のご厚意により、『ダイジェスト・バイブル』から転載させていただきました。 (日本聖書刊行会承認 承認番号聖第511号) |