イエス・キリストの有名で「山上の垂訓」と呼ばれる説教の中に、「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイの福音書5:9)という言葉があります。
 平和は人類最大の悲願です。私たちが皆、平和をつくる者、平和の使者となれたら、なんと幸いでしょうか。
 私は全国の方々からいろいろなお手紙をいただきます。ある奥さんから、次のようなお手紙をいただきました。「私の主人はアルコール依存症で、長年苦しんでいます。家族も悩んでいます。先生、もう何をしてもダメです。いやがる主人を週3回も違った断酒会に引っぱっていってもどうにもならず、二人の息子はグレて、家にも帰ってきません。もう家庭も崩壊しました。私に残された唯一の道は、夫と息子を捨てて逃げることです。でもどこに逃げたらいいのでしょう。先生、長い間ありがとうございました。さようなら」
 この最後の「さようなら」が、私の心にこびりつきました。今まで手紙のやりとりだけで、一回も訪問しなかったことを心に詫びながら、私はこの奥さんを訪ねました。
 思ったとおり、真面目で一生懸命な方でした。
 「奥さん、どんなに一生懸命、真面目にやっても、人間にはどうにもならないことがドッサリあるんですよ」 私は自殺未遂の自分の体験を語り、「十字架の上で苦しみ、地を流して死んで人間の罪を許し、身代わりとなってくださった救い主を、心を素直にして信じ受け入れ、まず神の平安をいただきなさい。そして、神に信頼し、祈って待ってごらんなさい」とお勧めしました。
 その奥さん、心を開いて救い主を信じ受け入れ、神の与えてくださる平安と信頼の心で、夫のため、息子たちのために祈る生活に入りました。そして、ついにその家族は、共に祈り、共に歌う平安な新しい家庭になったのです。
 神の与える平安な心で平和の種を蒔く人によって、本当の平和は作られるのです。
 「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブの手紙3:18)