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今日もまず「世の光」に寄せられたお便りの紹介です。名古屋市にお住まいのHさんから頂きました。「毎朝起きる前、床の中で聞いています。数分間の日々のメッセージは、一日の生きる糧であり、朝のビタミン剤でもあります。」Hさん。朝一番に「世の光」をお聞きくださり、ありがとうございます。
では今日の詩篇です。詩篇103篇13節「父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる」(詩篇103:13)。
子が父親に望むひとつのことは公平であることのようです。私は小さい時、父が末っ子の弟ばかり可愛がって、私に無関心であったことに大変不満でした。
聖書の中でも、父親から遺産の先取りをして家を出て、飲む・打つ・買うで身をもちくずしてボロボロになって家に帰り、父親に泣きついた弟に、父親が、やれ新しい着物だ靴だ、牛をほふって大宴会だというやり方が、まじめで父親に心配かけずに働いていた兄は、気にいりません。「オヤジ、公平にやれ」ってわけで、ふてくされて自分の部屋に閉じこもって出てきません。
ところが、その父親は兄息子にこう言いました。「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」(ルカの福音書15:31-32)
神は限りなく公平な方です。白いものは白く、黒いものは黒い。きびしい裁き主です。ところが、父なる神は、どんな目にあまる罪を犯し、ゆるしようもなく堕落し、父親の顔に泥をぬった子でも、ごめんなさいと心から悔いてとびこんでくる子どもに、罪の大小にしたがって処遇せず、天の最高の祝福を惜し気もなくくださるのです。
「主は……私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。……父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。」(詩篇103:10、13)
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