「苦労が無駄にならない人生」

 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのです。」(コリント人への手紙第一15:58)
 どんな苦労も無駄にならない人生なんてあるのでしょうか。目に見えるところは、あれも無駄、これも無駄、人生は無駄に苦労するためにあるとすら感じていらっしゃる方もありましょう。しかし私がすぐ思い出すのは、苦労のし通しで亡くなられたあるご婦人のことです。夫を戦場で失い、二人の子どもをかかえ、筆舌に尽くしがたい苦労をした方です。当時、クリスチャンになりたての私は、教会でこの婦人に出会い、生涯の模範、手本、目標としました。彼女がいかに神を愛し、神に仕え、人に仕えて、苦労の中から清い喜びに満ちた人生を走り抜いて天に凱旋したかを、私は見ました。彼女が召天した時、教会は小さいお墓を建てて、そこにこんな墓碑銘を刻みました。
 一人の憂いをいやし得ば/一人の涙を拭い得ば/弱りし一羽の小鳥をば/助けてその巣に戻し得ば/わが生涯は無駄ならず
 どんな苦労も無駄にならない人生ってほんとうにあるんです。
 伝道者パウロは、「ですから」とその理由を述べました。根本的な理由は、人類の救い主イエス・キリストが、人類最後の敵「死」を滅ぼしてくださっているのです。
 人生どんなに金持ちになり、偉くなり、豊かでぜいたくで名誉に満ちた人生を送っても、死んで、神にさばかれ、その罪と汚れのゆえに永遠の苦しみ、地獄に送り込まれるとしたら、人生のすべての栄誉も労苦も水の泡、すべてが無駄です。多くの人々は、この道を今も、喜んだり転んだりして歩いているのです。
 しかし、人となられた神イエス・キリストは、十字架の上ですべての人の罪の身代わりとして死に、罪の代価を支払い、私たちを罪とさばきから救ってくださいました。よみがえって、私たちも死んで新しい体によみがえる希望を与えてくださいました。天国の永遠の新しい人生です。終わりよければすべてよし……これこそが、すべてが無駄にならない人生の根本的理由です。
 パウロは言います。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)
 
よみがえられた主イエス・キリストは、今も生きていて、信じ、従う私たちを、常に、どんな場合でも支え、助け、力づけ、慰め、励ましてくださるのです。