土の器に宝を

 神はすべてを土から造られました。だから人間も材料はほかの動物と同じ、土です。死ぬと土に帰ると言われていますね。人はみな土の器です。
 でも、神がすべてのものの最後に造られた人間は、神の最高傑作。神がその息を吹き入れられると、神の似姿となりました。私の心臓手術を執刀してくださったお医者さんはいいました。「神さまの造られた人間の体は神秘的としか言いようがないすばらしいものですよ。人間の脳と同じコンピュータを組み立てるとすると、ワンブロックに26階建てのビルを建てても間に合いません。羽鳥さんの心臓、大分大きく壊死してたのに、神さまは、たくさんの毛細血管を造られて、ちゃんと応急手当てをしてくださいましたよ。」
 いえ、それ以上に、神は人間をご自分と同じような自由な人格としてお造りくださったのです。(神を愛し、人を愛し、永遠の愛の交わりを楽しむように)

 それなのに、与えられた自由を逆用し、神に背き、自分を神とする道を人間が歩き始めて以来、精妙に造られたこの口、この手、この足で、言うも恥ずかしい罪を犯し続ける罪人と落ちぶれたのです。
 でもそんな私たちを神は造り変えてくださいます。私たち一人一人を、かけがえのないものと愛してくださり、御子イエス・キリストの死とよみがえりを通して、作り直してくださるのです。それは、陶器師が失敗した器を砕き、練り直して新しい器に造るようです。
 粉々にくだけて悔い改めた自分自身を、丸ごと神に明け渡す時、神は私たちを作り直し、愛の火で焼きしめ、備前や古越前の焼き物のように素朴で清らかな土の器としてくださいます。上ぐすりの色彩も、ごてごてした飾り細工もない「土の器」です。しかし、中にはすばらしい宝が迎え入れられるのです。

 その能力と業績共に史上ナンバーワンのクリスチャンであったパウロが、自分自身はもろくて弱い、しかも卑しい「土の器」であることを、率直に告白すると共に、「中におられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ人への手紙1:27)と言いました。
 中に住むキリストから、そのよみがえりのいのちの力、永遠の愛の力、罪に打ち勝つ平和の力が輝き出して、神の栄光を現すのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二5:17)