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「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロの手紙第一5:7)
「神が心配してくださる」、なんとすばらしい言葉でしょう。ご一緒にこの聖書の言葉(神のことば)を検討してみましょう。
「あなたがたの思い煩い」
あなたはいかがでしょう。思い煩いがいっぱいでしょうか。
私たちは正直に、この世界が心配事や思い煩いの種でみちている事を認めるべきです。生きること自体が重荷だと言った人がありますが、私たちは人生の問題・必要・危険に気を配るべきです。知らん顔で、今まで通りの罪深い生き方を続けてはならないのです。
次に、私たちの心の中に思い煩いや心配の種のあることも認めるべきです。私たちの心は、一寸先に何がくるか知らないのです。この無知は大いに心配の種となります。さらに、私たちの心は無力です。神は、思っただけで世界を創り出すことのおできになる方です。それにくらべ、私たちは、どんなに思っても考えても、髪の毛一本創り出せません。親でありながら子供の病気を癒すこともできず、妻でありながら夫のギャンブルの虫封じすらできない。大学教授や、大会社の社長でありながら、ちっぽけな罪に打ち勝つことができない。私たちは実に無力です。心配して当然、思い煩って当然なのです。
しかし聖書は、思い煩いの種にみちみちた人生を思い煩い無しに生きる道を示しているのです。聖書はいいます。
「神があなたがたのことを心配してくださるからです」
幼児が溺れかかったのを見て、飛び込んで助けようとしながら自ら死んでしまった小学校4年生の女の子のことが、新聞に出ていました。かよわい女の子ですら、人を助けるために命を投げ出したとするなら、真の神さま、愛の神さまがあなたを放っておくでしょうか。わたしのことを知らん顔してそっぽを向いておられるでしょうか。
イエスさまは、私たちを罪と死から救うために、この罪の世の中にザンブと飛びこみ、十字架の死によって私たちを救ってくださったのです。私たちのためによみがえり、今も生きて私たちと共に歩んでくださるイエスさまは、ただ心配してくださるばかりか、その全能の愛の手をもって、慰め、励まし、助け、導き、支えてくださるのです。
このお方に、あなたがたの思い煩いを、
「いっさいゆだねなさい」
と聖書はいうのです。まず「いっさい」ですね。大きな思い煩いも、小さな思い煩いも、軽いものも、重いものもです。いっさいゆだねてしまうと、スイスイと神さまに導かれるのです。
「神さま、おまかせします」と祈りながら、祈り終わるとまたその思い煩いを自分で持って帰る人々が、たいへん多いのです。中途半端でなく、全部まかせきって忘れてしまうくらいゆだねてしまいなさい。神さまがあなたのことを心配してくださいます。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロの手紙第一5:7)
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